歴史ある剣道が続くわけ

歴史ある剣道は、文武両道という言葉があるように武士は文学に剣道に励んでいました。

この剣道も、明治維新の時と終戦の時の2回なくなるかもしれないという危機がありました。それでもその時代の人は「剣道は重要である。なくしてはならない」と必死でがんばりました。参考にお読みください。

過去2回の剣道消滅危機があったんです。

  昔から日本では武力による戦争が多く起こりました。戦争をするには闘う専門の人が必要になってきます。こうして武士が発生します。実戦の中で身を守るために刀を使う技術(剣法)が生み出されていくのは、平安時代の中ごす。



 武士が社会を支配する鎌倉時代になると、ますます剣法が盛んになりました。室町時代から戦国時代は、多くの戦国大名が合戦をくり返し、世の中が混乱に満ちた時代になりました。相手に勝たねば自分の身を守ることができないのです。また出世のために、さまざまな剣法の流派が生まれ、多くの武士たちは剣の技を競うようになっていきます。


 

現在の剣道の基礎が作られたのは、武士階級が確立された江戸時代です。この時代になると、剣の技術のほかに、精神も鍛えるようになりました。文武両道といわれ、立派な人間になる為に学問と合わせて剣道などを学ぶようになったのです。実際に打ち合う竹刀も考案され、面、小手、胴などの防具も開発されました。そうなりますと練習もしやすくなって、さらに剣道は、広まっていきました。


 

 ところが明治時代になると、武士階級の制度が無くなり、さらに刀を持ってあるくことが禁止されます。当時は、古来から伝統のある剣道がなくなってしまうのではないかと心配されました。少しすると、警察が剣道を採用しました。

 

 西南戦争後、剣道の必要性が求められたからです。再び剣道が復興すると、学校教育の体育科目にもなるほど剣道は発展していきます。


 しかしまた、剣道の危機が訪れます。昭和20年、日本が太平洋戦争に敗れると、日本を占領していた連合軍司令部が、剣道を含めて、柔道、弓道などの武道を全面禁止にしてしまったのです。武道が日本を軍国国家にしたと思われ、そんな武道が恐れられたのかもしれません。



剣道を何とか復興させたい人々は「どうしたものか」と思案しました。占領軍は、西洋のフェンシングはスポーツとして認めていました。そこで、改良した竹刀を使用し、フェンシング用の防具をつけて、フェンシングに近い新しいスポーツ競技として「しない競技」を考えたのです。昭和25年、禁止されていた剣道は、スポーツに形を変えて復活しました。


 昭和27年、サンフランシスコ講和条約の発効により、ようやく日本から占領軍が撤退しました。それは同時に日本の武道復活が遂げられる時でもありました。この年に、全日本剣道連盟が設立され、「しない競技」などを吸収する形で、現在の剣道が体系づけられました。


世界大会も毎年各国で行われ、今や剣道は日本だけではなく世界の文化遺産として認められています。